赤駒の素敵な?予感...
黒い背景のごとくの場所から、灰色のしかし白んでいく霧の中から赤駒が、実乃梨の目の前に現れた。
「何者なんです? あなた」
わらの赤駒に乗った一人の若い男…その顔は、はっきり見えないものの、白い歯を見せる笑みだけは分かる。
「あなたのために現れた白馬の王子です…」
王子と名乗る男に実乃梨は戸惑う。
「でも元々、私、そんなに白馬の王子様願望なんて、ありません!」
男は、そんな実乃梨の戸惑いを理解しつつ、こう返した。
「困ったときは一人悩み続けていくことはできない。必ず誰かの助けにすがる」
だが、実乃梨は顔を強く赤らめ首を横に振る…
「今の私にはそんなことありえません」と。
…首を振ったところで実乃梨は目覚めた。彼女は本を枕にしていた。
『万葉集』についての参考書が机の上にあり、奈良時代の防人に関する和歌について解説されているページが開かれていたところに、彼女は頭を置いて寝ていたのだ。
「志望大学、少し高望みだったのかなあ」と実乃梨はつぶやきながら、机から頭を起こした。
彼女が頭を上げた後、結果、枕となってしまった参考書には…
~赤駒を山野に放し捕りかにて多摩の横山歩ゆか遣らむ~
…という、万葉集に収録されていた防人の妻の和歌が記されていた。
「まだもう一踏ん張り!」と実乃梨は心で叫び、口ではつぶやいた。
ただ、カレンダー付きの電気時計は、すでに午前1時過ぎを告げていた。
それにもかかわらず、実乃梨はもう一度、机に向かうも、
――先ほどのごとくなうたた寝を繰り返してしまえば、
この感じじゃ勉強にならなさそうだ、あきらめて眠りにつこう――
彼女はそのように思い返した。
そして翌日…
「さすがに同じ夢は見なかった。一安心」
実乃梨は朝支度をして学校に向かった。
そんな受験勉強に忙しい日々を過ごし、実乃梨はクリスマス、そして正月を迎え三が日も終わりを迎える日、深大寺へと初詣に行くこととなった。
あまりにも受験勉強と冬の寒さで出不精になっては身体に良くなかろうと、気分転換目的とのことだ。
実乃梨と彼女の家族が住む調布ヶ丘の自宅から徒歩30分ほど北側に歩いた場所に深大寺はある。
上り下りの多い道を歩きつつ、火照る実乃梨。
彼女は深大寺に到着、そして願いを成就するために絵馬に大学合格の文言を書く。
そのついでに白馬の王子様…と、つい油性ペンが走りそうになって線を引いて消す。
「あああ、なんか無意識が…」
そして実乃梨は、さい銭箱の待ちの列に並び、その後、彼女の順番になって奮発?したがごとく100円をさい銭箱に投入、
「あたしに白馬の王子が大学合格とかいろいろ幸せをもたらしてくださいますように」と、彼女は大声で叫んだ。
「あぎゃ、思いも付かないことが口をついた、恥ずかしい…そして、もう、浪人確実…ついこんな大声で願い事するなんて…」
帰り道は、実乃梨は赤面しつつ肩を落として重い足取りで帰路につく。
そして、そのまま恥ずかしい思いを続けながら、また実乃梨は大学受験勉強の机に戻った。
「そば饅頭、食べたいな…」
彼女は元旦の初詣でお土産に家族が買ってきたそば饅頭の味を思い出していた。
「安心した。色気より食い気…いやいや、それより大学受験勉強だ」
大学ノートに、実乃梨は試験の範囲とおぼしきところの勉強をしていく。
しかし範囲は外れることもあるため、とにかく高校で3年近く学んだ授業内容をできる限り覚える目的で、彼女は徹頭徹尾ノートしていった。
そして、試験の日…
志望大学の受験にいそしむ実乃梨。
「(予想以上に難しい…さすが、一流クラスの試験問題…)」
彼女は、とりあえず名前を書き、できるところから、一つずつ試験問題を進めていった。
そして、翌日も試験問題に苦闘する実乃梨の姿があった。
「何が得意範囲か分からなくなった…みんな苦手科目。もう少し低いレベルにしても良かったかも」
そして試験が終わり、大学の門へ足取り重く向かう実乃梨だった。
「駄目だった…来年こそは受かる、ようにする」
そう言いつつ彼女は門を出たとたん、足下がふらついて倒れそうになった。
「あ! 大丈夫ですか?お嬢さん」という若い男の声とともに、その男の腕に抱えられる実乃梨。
「ご、ごめんなさい私、試験のでき…」
実乃梨は、今まで青ざめかかった顔色が急激に赤くなってしまい、あたふたして若い男に返事した。
「季節はカゼです!!」
若い男は、実乃梨の額に手を乗せた。
「少し熱でもあるかもしれないけれど心配するほどのコトじゃないかな」
実乃梨は赤面のまま、平謝りしたのだが…。
「別に謝る必要はないよ」
若い男は、実乃梨にたずねる前に自らについて説明した。この大学に通う20歳の大学生と言うことを。
「わ、わたしはここを受験したけれども結局落ちる…」
実乃梨は落胆していたままだった。
「受験の結果、合否なんてその時にならないと分からないじゃないか」
若い男がこう告げるや否や実乃梨は、再度「ごめんなさい」と言って早足で帰宅の途についた。
「お嬢さん…落とし物…」
若い男は、彼女の受験番号が記してある受験票を拾った。
実乃梨は帰宅した後、自分の部屋で考え事をしている。
「ああ…なんであのとき素直に感謝のあいさつができなかったんだろう」
実乃梨は自分自身の行動を振り返り、受験のことよりも帰りに会った若い男のことの方が気にかかっていることを意識した。
だが、それについてはしばらく忘れて、深大寺に行ってきてそば饅頭を買って食べようかな、と実乃梨は思った。
「チャンスは、来年だしね」
深大寺、そこで実乃梨は、そば饅頭とわらの馬を一緒に買ってきた。
「お母さん、お父さん、そば饅頭は食べて良いですよ」
実乃梨は、この前の試験を忘れて吹っ切れたようだった。
わらの馬は、実乃梨自身の部屋に置いた。
来年の受験の合格がこの馬に乗ってきたらいいなって、彼女は思った。
――そして、彼女は試験結果発表の日のことをすっかり忘れていたように思ったが、奥底では忘れていなかったようだ。
「えっと、志望大学の受験の手引きは…と、どこにやったのやら…」
家捜ししてようやくその手引きを見つけたが、そこには発表日が明日だと言うことが分かった。
「あきらめてたはずなのにね…」
実乃梨はため息をつきながらも明日に備えた。
だが、どう考えても受験には落ちているのだろうし、受験番号も控えていなかったので、
冷やかし程度の合格発表の場所への外出となることは、彼女自身も理解していた。
そして、翌日―――合格発表所にて。
「受験番号が分からないと合否以前の問題だったよね」
実乃梨は、希望が消え失せたかのごとくつぶやく…
すると、実乃梨に呼びかける人がいる。
「失礼いたしますが、落とし物の写真の人と違いますでしょうか」
実乃梨は振り向く。
「どなた…ですか?」
呼びかけた人は、試験の最終日に実乃梨か倒れそうになったその時、助け上げた男子大学生だった。
「改めまして、私はここの大学に通う2年生の駒橋光博という者です」と、その大学生は改めて自らを紹介した。
そして、「迷惑でなかったら、この落とし物を受け取ってください」と、実乃梨に受験票を差し出した。
「ありがとう、駒橋さん。たぶん受かってなかったでしょうが、
ちゃんと保管してくださって嬉しいです」と、感謝の言葉を実乃梨は述べつつ、受験票を受け取った。
実乃梨は、駒橋の唐突な行為に驚きつつもなぜか好意を持った。
その駒橋の声は夢に出てきた白馬ならぬ赤駒の王子によく似ていたからだ。
結局、実乃梨は試験に落ちたけれど、彼への気持ちで浪人生活は1年で終わるだろうと希望がもてた。
新たな一歩、そんな実乃梨の春は始まったばかりだ。
<了>